ドリフェス!と、「未来の自分は他人」だということ

はじめに。

「未来の自分は他人である。」
というようなことを、働き始めたころはよく言われていたなぁと、ふと思い出しました。
「書いた自分だって忘れるんだから、今ちゃんと他人が見ても分かるように書け。」
と続くわけですよ。
割とこれは自分に根付いている考え方で、私は「明日の自分は他人」と思って生きています。

 

この考え方というか生き方というか、そういったものと、ドリフェス!への愛をうっかり重ねてしまったため、この記事を書くことを決めました。
なので、他人が見ても「へぇ~、だからこのドリフェス!はこう生きてるんだな」「自分もこう生きたい!」と思えるよう書いていきたいと思います。
後者は未来の自分が思ってくれたらいいので、私ではない皆様はどうぞ「へぇ~」と思っていただけたらと幸いです。

 

本題。

知っている方も知らない方も、私はドリフェス!です。
(知らない方は、この記事のことはおいといて、YouTubeの「ドリフェス!チャンネル」などを見ていただけたらと思います。)
元気で仕方がないドリフェス!なので、週3くらいで『寝る前にドリフェス!くんにメッセージを送る』タイプのドリフェス!です。


だいたいこんな内容です。

 

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そういえば、私この「ドリフェス!くん」って、勝手に意味を想像して使ってるんですけど合ってるんですかね。
他作品のドリフェスと被らなように使われているのかなーとか、
公式を意味しているのかなー、ドリフェス!の大人たちとかってニュアンスかなーとか、そんなことを勝手に想像して使っています。
答え合わせをしたことがないので、間違っていたらすいません。

 

で、まぁ、こういうことを週3くらい、下手すりゃ毎日やってるわけです、と。
なんでこういうことをしているかということが、今回のメインの話です。

 

『永遠ってどうやって証明すればいいんだろう。』
ということを、私はドリフェス!にハマる前から思っています。

 

『永遠ってなんだろう』
『永遠に好き!って思いたいのに、永遠ってどうやったら証明できるんだろう』

 

永遠って、『永遠が終わる前』にようやく明確になると思っています。
『永遠の愛』の『永遠』は、『永遠の愛』がなくなる直前にならなきゃ不確実なままなわけです。
永遠って10年? 20年? 100年?
厨二をこじらせ続けた私は、この、不確実な言葉をどうしたものかとずっとずっと思っております。

 

(ちなみに、この記事を書くにあたって「いったん『永遠』の言葉の意味を調べずに書いてみよ」と思って、調べずに書き切りました。
なので、『永遠』という言葉を改めて調べた今、本当はチョコチョコ直したり補足入れたりした方がいいかなーと思ったんですが、
まぁ、ドリフェス!くんへの愛を書き連ねるのが目的なのでいいことにしました。
というわけで、どうぞ『永遠』の意味についてはふわっと受け取っていただけたら幸いです。)

 

これは余談ですが、学生の頃、友人が恋人との惚気話をしてきたんです。
恋人ととある人気アイドルの歌を聞いていて、歌詞になぞらえていちゃついていたのだそうで。
歌詞をそのまま書くことはできませんが、ニュアンスとしては

【永遠に大好きだよ】

って内容です。
その恋人たちは、その曲を聴きながら「自分も永遠に大好きだよ」と言い合っていたのです。
私はその話を聞いて、適当に笑っていた気がします。

1年後、いつの間にかその二人は別れていたので、その時に全力で笑ったことをよく覚えています。
「『永遠』、終わってるじゃん!」

あれ、私がこじれたの、この友人のせいか?

まあ、今の我々は、『永遠』の言葉に限らず、未来のことを確約できないという話です。
だって未来の自分は他人ですもの。


で、話を戻します。

 

私は今ドリフェス!が大好きで仕方がないです。
ドリフェス!の楽曲を聞かない日はないし、2次元か3次元、偏りはあれどドリフェス!関係のことを考えない日はありません。
(孫の舞台などの活躍もドリフェス!に含んでいるので、この定義は曖昧です。)
でも、これっていつまで続くか分からないわけですよ。
繰り返しですが、だって明日の私は他人なんですから。

 

孫が言っていた気がします。
「過去にしたくない」って。「忘れてほしくない」って。

(見ると号泣するのが分かっているので、確認するために再生することが出来ませんでした。すいません、これは完全に記憶で書いています。)


孫も人間なので、いつまでもこれを思っていてほしいとは思っていません。
孫自身が忘れてもいいよ。ドリフェス!で出会った全てのことを超えた、サイコーの出会いがこの先にあってほしいよ。
うそ、本当にあったらすごく淋しい、でもあってくれたら嬉しい。
まあそれはおいといて。

 

ドリフェス!くんへのメッセージは、私がドリフェス!を忘れていないことの証明です。
今日の私がドリフェス!を愛していた、事実です。
これが積み重なって、いつか私がドリフェス!を忘れたとき、最後のメッセージが『永遠』を証明するんです。
私とドリフェス!との関係の『永遠』が、そこでようやく形になるんです。

 

本当は毎日呟けたらいいんですけど、そうもいかないので雰囲気で書いています。
1日の終わり、眠りにつく前。
今日もドリフェス!が大好きだったよ。
それを言えなくなる日。言い続けることが出来なくなる日。
私も人間なので、いつかその日は必ずやってきます。
それまでは、ドリフェス!を愛していること、忘れていないこと、言い続けていたいんです。
少しでも長く、ドリフェス!くんとの『永遠』を続けるために。

 

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推しもこう言っていることですし。

まだまだこれからもよろしくね、ドリフェス!くん。

 

 

ところで、余談扱いした友人、当時永遠を誓った恋人と結婚しました。
永遠って、決定的に終わらなきゃ終わらないんだな。
そう気づいたので、この記事を書くことにしました。

 

おわり。